Lunatic Syndrome

※本誌67話(アフタヌーン6月号)のネタバレ含みます。

また、それを読んだ上での私の解釈と妄想を詰め込んだカンゴームとゴーストの話です。大丈夫!という方のみ、読んでいただけたら幸いです。本誌67話で絶望したので救われたいです…...

古い記憶ほど薄れていくのは当然のことで、忘れてしまった物事はたくさんあるのだろう。そんな中、これだけははっきり、だけど抽象的に覚えていることがある。

遠い昔、生まれ落ちる前に見た白。次に目を開けた時、カンゴームはその白に包まれていた。



ここがどこかと聞かれたら、カンゴームはわからないと答える。フォスフォフィライトに連れられて、月までやってきたことを思い出す。ということは月のどこかだろうか。がらんとした何もない空間に、ひとりきり。宿泊施設だと案内された建物ではなく、月人の姿すら見えない。

気がつくと、手足を投げ出して虚空を見ていた。辺り一面何もない景色は冬に似ていて、不安よりも安心を覚えた。

背中に感じる地面は冷たくも暖かくもない。雪のようにふかふかでもなく、氷のように硬くもない。

天上も果てしなく白があるだけ。確か月の空は黒かったはず。

美しい色だと、エクメアは言った。

濡らした手を頬に滑らせて、白粉を落として。白の下に隠された漆黒を哀れむように見つめる目。カンゴームの願望を拒み、代案を勧める甘い声。解かれた指先の柔らかな感触――頭が痛い。

意識の片隅ではずっと耳鳴りがしていて、この状況に違和感を訴え続けている。無視し続けたせいか、甲高い耳障りな音は急に大きくなってから、弾けるようにぷつんと途切れた。

静寂が戻ってくる。無意識に息を吐いていると、こつん、と足音が一つ響いた。大地を踏み締めるようにゆっくりと近づいてくる平たい靴音がすぐ傍で大きく鳴って、カンゴームの肩がピクリとはねた。

「こんなところにいたのね。探したのよ」

カンゴームは特に驚かなかった。自分の声より耳馴染みのある声だったので、ゴースト、と語尾上がりで尋ねる。肯定の意味なのか、カンゴームを覗き込んでいた目はさらに細くなった。こういう形で彼の顔を見るのは初めてかもしれない。自分の顔は水面に映せば見れるけれど、面と向かって見るのとは違う。

声と共に頭上からこぼれ落ちてきた髪を見つめ、カンゴームは銀色の髪に手を伸ばして指を絡ませた。この髪は毛先にいくにつれて所々黒かったと記憶している。しかし、指に絡みつくのは美しい銀糸だ。

「ねえ。いつまでそうしているつもり?」

「さあ。夏眠し損ねたし、ここで寝るのも悪くないかもな」

「本気なの? 困ったわ」

いなくなった『前の自分』と普通に会話していることがひどくおかしかった。相当参っているらしい。夢でもみているのか。思考を巡らせようとして、やめた。

ひどく疲れていた。考えることも。祈ることも。諦めることにも。

与えられたものを大人しく享受していれば、ラピス・ラズリがいてゴーストがいる時間はまだ続いていたかもしれない。誰にも見えなくても、声が届かなくても、ラピスとゴーストが自分の存在を知っていてくれるだけで十分だったのではないか。

求めてはいけなかったのだ。

自由になりたいと望んでしまったから、全てを失った。カンゴームはそう思っていた。

「戻ろうよ? ここは君がいるべき所じゃないわ」

「どこに? 俺の居場所なんて、最初からなかった」

「……そうね。ずっと僕の中にいたんだもの」

だからラピスを助けられなかった。数え切れないほど後悔している。

ラピスが連れ去られ、日常は灰色に染まった。美しい瑠璃は夜空の向こうに消えてしまい、ゴーストは悲しみに囚われた。膝を抱えて蹲る彼に、ラピスが担っていた仕事の代役を提案したのはカンゴームだ。ラピスもきっとそう望んでいる、と。

ラピスがいない分、しっかりしようと柄にもなく励ましたりして。

新しく誰かと組むこともなく、内勤に勤しんだ。頑張るのにも疲れ始めて来た頃、新しい相棒ができて、瞬く間にゴーストも月に魅入られてしまった。

「ラピスもおまえも、俺を残して行ったくせに」

「でも、君は自由を手に入れたじゃない。外に出たかったんでしょう」

願いは叶った。しかしそれは半永久的な別れを意味する。

「独りだ。おまえとラピスがいなくなったから俺は、」

言いかけた言葉を飲み込んで、カンゴームは口を閉じる。言っても仕方ない、と理性が引き止めた。

「知ってる。大変だったね。ラピスと僕の仕事、代わってくれてありがとう」

「違う。俺はただ、おまえがフォスを守れって言ったから」

フォスと組んでいるのも、ゴーストがそうしていたから。

冬の担当を引き受けたのも、アンタークチサイトの代わりに、フォスが一緒にやろうと言ったから。

全部、誰かの代わり。

必要とされているのは自分ではない。求められるのは前任者のように振る舞い、引き継いだ仕事を完璧にこなすこと。それ以上でも以下でもない。

さっきの話だけど、とゴーストは静かに口を開く。

「君がいるべき場所はフォスの隣よ。そう決めたじゃない」

「決めたのはゴーストだ」

「あなたもゴーストだった」

髪を弄んでいた手をゴーストが捕まえた。手袋はしていない。少し力が込められた指は、爪の先まで銀色だった。

自分とカンゴームはもう違う存在なのだと、ゴーストが告げている。わかってはいたが、改めて突き付けられるとまた違った衝撃があった。

「よく思い出して。百二年の間、君がやってきたこと。フォスが目覚めるのを信じて待っていてくれたし、冬の担当だってひとりでこなしてきた。それは僕がお願いしたから? 僕が君にやらせたこと?」

「……わからない」

「だめよ、ちゃんと考えて。もし虹彩に僕が残ってると知ってたら、瞳を変えてもらおうと思った? 僕の目を抉り出して、綺麗な箱にしまって長期休養所に、」

「もういいやめてくれ! 聞きたくない」

「……あなたって本当に聞き分けがないのね」

うん、そうだった。そう呟いて、ゴーストはカンゴームの手を引いた。地面に根を張りかけていた身体が起き上がっていくのに合わせて、カンゴームは腹に力を込める。そうしないと腕が取れてしまいそうだった。

「でも今のは意地悪な言い方ね。ごめんなさい」

手を離したゴーストはしゃがみこんで、カンゴームと同じ目線になる。ラピスを、そしてフォスを見つめていた瞳がカンゴームを見ている。見たこともないくらい不安そうな奴が、ゴーストの目に映って見えた。

「こうして見ると、君ってちっとも僕に似ていないわ」

「ふたりでひとりって言っても、アメシストとは違うだろ」

「そうよね。君にはもう新しい名前だってある。カンゴームって名前、強くて真面目そうで、かっこよくて、あなたにぴったりだと思う。大事にしてね」

「言われなくても、そうしてる」

目を逸らしてそう言ったカンゴームに、ゴーストは困ったように笑い、控えめに両腕を広げて見せた。夏服の白い袖から、同じくらい白い腕が伸びている。

意図が読めずにカンゴームは不満げな声を上げた。

「なんだよ」

「やり方、忘れてしまったの? ラピスがよくやってくれたじゃない」

「……あれは、ラピスとしかしない」

「じゃあ僕からするのはいいよね」

おい、と声を上げるも、ゴーストはそのままカンゴームと距離を詰めて、首に腕を回した。小さな音が響いて身体が触れる。

抱き締められている。どうしてゴーストがこんなことをしているのか分からない。状況が飲み込めないカンゴームは困惑した。

「ラピスじゃなくてごめんね」

「別に。おまえでも、嫌じゃない」

「じゃあ、このまま聞いて。僕はフォスといると楽しかったわ。フォスはいつも誰かの為に頑張ってて、でも頑張り方があんまり上手くなくて。つい手を貸したくなるの。それにね。彼に名前を呼ばれると、ここにいていいんだって気持ちになる。ラピスもそうだった。必要とされてうれしかった」

「……わかるよ」

「だから僕はフォスを守ったことを後悔していない。誰を責める気もない。もちろんあなたのこともよ」

解かれていく腕を少し寂しく思いながら見ていると、それに気づいたゴーストは下ろしかけた腕をふわり、とカンゴームの頭へのせた。優しく動く手は懐かしい手付きで、甘えるようなゴーストの声と、甘やかすラピスの声が頭の中で再生される。

ラピスは少し変わっていて、よく頭を撫でてくれたり、抱き締めてくれたりした。彼はそれを『愛情表現』だと言った。意味なんてどうでもいい。『愛情表現』はゴーストにだけ向けられる特別なもので、繊細な手つきで頭を撫でてもらうことがたまらなく好きだった。

「謝らなきゃいけないのは僕の方。腕、ごめんなさい。折角なおったのに。脚だって……君みたいにうまく、身体を操れなかった。どうしてもあの場から連れ出したかった。助けたかったの」

切なげな声はそう告白した。申し訳なさそうに見つめられる腕は、綺麗にくっついていて、脚だってちゃんとある。意識が霞むほど破損したはずだった。あの後どうしたか、思い出そうにも記憶が欠落しているようで何も出てこない。

「もういいんだ。全部わかってる。わかってるから――おまえは小さな欠片になって月のどこかにいる。これは夢みたいなもので、おまえは俺が見たがってる幻なんだろ」

「本当にそう思う?それでもいいわ。あのね。君はどう思ってるかわからないけれど、カンゴームになってからの時間は全て、君だけのものよ。ここまできたのも全部、君が選んで決めてきたこと。僕には君を操る力なんてないのよ。僕が『馬鹿』だって知ってるでしょ?」

「それなら俺も『馬鹿』だな」

「ふふ、珍しく意見が合った。――ああ、時間ね。フォスを助けてあげてほしいの。これは僕のお願いだから無視してもいい」

「無視するかよ。『ゴースト』の願いだ」

ゴーストは一瞬目を見開いて、顔を綻ばせた。その姿が徐々に透明になっていく。

「ありがとう。話せてよかった。幻だとしても。……君の目から見る世界、僕は好きよ」

強い一筋の風が吹いて、ゴーストはすっと消えていった。言いたいことを言って、言い終えたら消えるなんて。勝手さに悪態をついても彼には届かない。

ゴーストがいた場所で何かが光る。無造作に転がり見上げてくる眼球にぎょっとした。見ていて気持ちがいいものではない。おもむろに目元へ手をやると、本来目がある場所には同じ大きさの穴が二つ開いていた。

「なんだよ。始めから全部、俺の都合のいい幻か」

何も見えていなかったのだ。幻なのはゴーストだけでなく、目の前にあるもの全てなのかと思うと笑いがこみ上げてくる。フォスのことをとやかく言えない。

「なあ、ゴースト。おまえがいないとフォスを助けられないだろ」

ころん、と転がっていた瞳を二つ拾い上げると、カンゴームは立ち上がった。

まずは目を覚まさなければ。

向かうべき場所は既に決まっていた。


※こちらにも本誌のネタバレが含まれますので、ご注意。


67話を読みながら崩れ落ちていく感覚をまだ覚えています。

まず私は、ゴーストがカンゴームを操っていたとは思いたくない人です。それを前提にした自分なりの解釈が以下になります。

カンゴームには『もしかしたら自分の中(?)にゴーストが残っているかもしれない』という思いが元々あった。エクメアが最もらしい指摘をしたせいで、カンゴームは怖くなり自壊に近い形であのようなことが起こった。カンゴームもまたフォスのように幻を見ている。

カンゴームは自壊したんだけど、ゴーストが関わっていると本人は思い込んでいる。というなんとも分かりづらい設定。

だってゴーストが操っていたなんて思いたくないんだもの。私が見てきたカンゴームは誰だったのって話になります。

なんだかややこしいこと言ってますが、最終的に夢落ちという話にしたのは私も大混乱だったからです……都合のいいように読んでもらえれば幸いです。


ゴーストってどちらかと言えば透明だと思うんだけど、表現上、白とか銀って言ってます。透明って一番表現に困る色だ……


(プライベッター掲載)

Jewelry Box

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