for better or for worse

ジェードとユークの話。フォスに忘れられて落ち込むジェードをユークが励ます話。アゲートの脚をつけたばかりのフォスと別れた後くらい。



 レッドベリルにアレキサンドライトを任せて、ユークレースはさてどうしようかと思考を巡らせた。

 頭上には清々しい青が広がっている。対して身体に纒わり付くのは重い眠気と、疲労感。そして、遠慮がちに体重をかけてくる心地よい重み。

 足元で青々と伸びた草は、風が吹くと潮騒に似た音を立てる。その中をユークはゆっくりとした足取りで進んでいく。

 項垂れるジェードの身体に手を添えながら。



 事の始まりは昨日の夜まで遡る。

 探していたフォスフォフィライトは、海ではなく学校の中で発見された。両足を失い、ぼろぼろになった彼を心配して、ユークとジェードは医務室で夜を明かした。

 ルチルの仕事は今回も完璧で、目が覚めると、王から貰ったというアゲートはすっかり『脚』としてフォスの一部になっていた。

 脚がついてよかったね、で済めば何の問題もなかったのに、現実はそう甘くはない。


「大丈夫?」

「すまない。あまり大丈夫じゃない」


 フォスと別れてからのジェードの落ち込み具合は、酷いものだった。

 フォスはジェードに関する記憶を両足と共に失ったという。新しい脚は手に入ったけれど、記憶はもう戻らない。築いてきた関係も海の中に消えてしまった。

 追い打ちをかけるように、あの場にいた者の中で、ジェードだけを覚えてないと彼は言った。

 フォスの前では辛うじて平気そうに振舞っていたが、ユークが困ってしまうくらいの落ち込み様だった。


「……ちょっと休みましょうか」


 会議室へ続く廊下に誰もいないのを確認して、ユークはジェードを座れそうな所へ慎重に下ろした。様子を伺いつつ身体に回した手を離す。

 ほんの一瞬、ジェードがユークの手を目で追った気がしたが、彼はすぐに視線を落としてしまったので確認しようがなかった。


「すぐに元気を出すのは難しいかもしれないけど、あまり思いつめないでね。フォスが失った記憶は全体の三分の一。彼は生まれて三百年だから約百年分。その中にジェードの記憶が丸ごと詰まってたって考えると、ある意味すごいことじゃない?」

「忘れたい記憶、百年分かもしれない」

「そ、そうかな。流石のフォスも、そこまでめちゃくちゃなこじゃないと思うよ」

「……フォスにとって私は『そこそこのジェード』だ」


 か細く覇気のない声がそう答えるので、ユークは今までのようなフォローでは彼に届かないと思い、一度口を噤んだ。

 ジェードの顔が見えない。下を向いたまま、ぎゅっと手を握っている。

 忘れたい記憶だなんて、本気で思っているとは思えない。

 それでも口にせずにはいられなかったのか、それとも紛れもない本心なのか。


「ねえ。ジェードは僕に、どうしてほしい?」


 悩んだ末に、ユークはしゃがみこんで目線を合わせてそう聞いた。ジェードは勢いよく顔を上げ、困惑を浮かべた表情でユークの顔を見下ろした。皆の前に立つ時の凛とした雰囲気は影を潜め、瞳が水面のように揺れている。

 昔から容姿は変わらないというのに、ユークの目にはジェードの姿が幼く映っていた。それが伝わってしまったようで、笑いかけると、ふいと顔を逸らされてしまった。


「甘やかさないでくれ」

「あら。それは年上の特権よ。年下はみんな可愛いものなの。ジェードに使うのは久しぶりだね。ちょっとどきどきしちゃった」

「……ユークレースがルチルに見える」


 喜んだ方がいいの?と聞くと、ジェードは気まずそうな顔をした。


「なんでもいいよ。ひとりになりたいなら、それでも」

「いや、そうじゃない。そばに、いてほしい」

「うん。わかった。そうするね」


 ユークはジェードの隣に腰を下ろす。

 彼はそれを見届けてまた口を閉ざしたので、代わりにユークが口を開く。


「今日も光がおいしいね。きっとフォスも元気になって、すぐに歩けるようになるよ」


 日差しは暖かいが、冬を匂わせる風が校内を吹き抜けていく。弄ばれる髪を押さえて、何度目の冬だろうと考えてやめた。指が何本あっても足りない。

 しばらく何をするでもなく二人で過ごした。沈黙を共有するのは嫌いじゃない。互いに仕事をしているときは、平気で何時間も無言でいるときだってある。

 やがてジェードは吹っ切れたように大きく息をつき、顔を上げた。


「忘れられることが、こんなに堪えるものだとは」

「そうだね。できれば体験したくないことだよ。忘れるのも、忘れられるのも」

「こんな気持ち、知りたくなかった」

「ジェードのせいじゃないよ。もちろんフォスのせいでもない。……あのね。たとえ本人が忘れてしまったとしても、僕たちはちゃんと知ってるし、覚えているよ。そう考えたら、少し楽になるかしら」

「……ユークレースにだけは忘れないで欲しいと思うのは、私のエゴだろうか」

「ううん。そんなことない。ジェードがそう望むなら、忘れない」


 ありがとう、と彼は呟く。その声は辛うじてユークに届いて、空気に溶けていった。

 再び沈黙が満ちる前に、ユークは急に腰を上げて彼との距離を詰めた。


「ユークレース、なにを、」

 ジェードが驚いて顔を上げたが、続きの言葉をユークが遮った。


「じっとしていて」


 ジェードが真面目に固まってしまって、思わず笑ってしまった。そんなところが彼らしくて、とてもいとおしいのだけれども。

 手を伸ばす。簡単にジェードに届いた。

 脚の上で固く握られた右手に指先で触れた。ぴくりと手が動いたが構いはしない。いつもすぐに外してしまう手袋はそのままにしてある。余程のことがない限り欠けたりはしないはず。

 ここまでやってふと様子を伺えば、状況が掴みきれていない顔で翡翠色が揺れていた。その瞳に、青と透明の寒色が映り込んでいる。ジェードの色を初夏の植物に喩えるのならば、ユークは冬の冷たい海だ。


「ジェード」


 完全に力の抜けた手をユークの手が掴む。しなやかな指の先で、翡翠が光る。とてもきれいな色。その手を両手で柔らかく包み込み、そのまま自分の方へ導いて、頬を寄せた。

 彼はされるがまま、黙ってユークを見つめていた。


「だいじょうぶだよ。僕はジェードのこと、ぜったいに忘れない。だからね。ジェードが恐れていることは、いまここで忘れて」


 彼は一瞬目を見開いて、張り詰めていた糸が切れたように脱力する。

 たっぷり間を開けてから一度だけ鼻を啜った。それでも抑えきれなかったのか、声は少し震えていた。


「ユークレース……おまえを困らせるつもりはなかったんだ」

「わかってる。僕こそごめんね」


 遠くでユークを呼ぶ声がした。校内に反響した声は誰のものかわからない。

 ジェードの判断を目で仰ぐ。返事の代わりに左手が伸びてきて、ユークの手の上に重ねられた。


「返事をするには、まだ遠いんじゃないか」

「ジェードがそんなことを言うなんて。でも、そうね。きっと聞こえない」


 声音からは緊急性は感じなかったし、早急な用ならまたすぐ呼ばれるだろう。

 何よりジェードが離してくれない。

 ユークは手にほんの少し力を込める。割れる限界は自分で把握している。


「上手くなったでしょう?」


 彼にしか聞こえないような小さな声で、告白するように告げた。主語がなくてもジェードには伝ったようで、彼は強気に笑う。それからするりと左手を移動させて、音も立てずにユークの頬に触れてみせた。

 彼は手袋をしていなかった。


「私の方が上手い」


 手袋をした両手を使ってやっとジェードを捕まえたユークに対して、ジェードは片手でユークを捕まえた。

 悲しみに囚われていた彼は影を潜め、見慣れたジェードに内心ほっとしている。

 頬に感じるのは、冷たくて硬い素手の感触。そこからじわじわと何かが染み込んでくるような錯覚に陥る。

 触れるという行為は身体の性質上、褒められるものではないけれど、ジェードなら何の心配もいらなかった。


「知ってるわ。ジェードにはかなわないもの」


 今度は二人を呼ぶ声が近くで聞こえてきて、互いに手を離した。

 ジェードは立ち上がって、当たり前にように右手をユークに差し伸べる。

 ユークも当たり前のように、その手を取った。


※8巻~本誌64話までネタバレ注意。


ジェードとユークの組み合わせが好きなんです。

議長と書記もそうだけど、パートナーとしての二人もとっても好きです。傍にいるのが当たり前すぎて、空気みたいな。うーん、そうじゃなくて熟年夫婦?なんかこの表現も違う…お母さんと息子?あー近い。大事に大事に見守って、時には手を貸していた小さい子がいつの間にか大きくなっていたお母さん、お母さんを守りたい息子。みたいな関係。合ってるかというより、私はそんな感覚を持っています。

二人には独特の世界があると思うんです!!

何でしょうね。64話でも二人は他の宝石たちとは一歩離れたところにいたような気がします。ジェードが冷静なのは、ユークのせい?互いにパートナーを失ったことがない(多分)っていうのも大きいと思いますが。

やっぱり二人の間には、絶大な信頼関係があると思うんですよ。長年一緒にいる訳だから。

どの組でもそうなんですが、パートナーにしか見せない顔、にすごく萌えます。悶えます。そこを書きたいのです。ジェードだったら甘える、弱音を吐くとか。ユークもわかりにくく甘えるような試すようなことを言ってみるとか。完全に私好みの妄想です。

…落ち着こう。

普段はジェードを尊重するユークが、8巻でフォスに見せた態度には驚きとドキドキがありました…あんな冷たい顔できるのね。ほんと、ドキドキしちゃった…あれがユークの本心でもあるんだろうと思うと、やっぱりいつもジェードに合わせてるのかなあ。いい…ジェードはジェードで、ユークに頼り切ってる感が出てて、彼も「議長」でいられないほどフォスの件について動揺していたんでしょう。ある意味、人間ぽくて少しほっとします。


今回はユークがジェードを甘えさせるというのを意識して書いた回でした。ユークはいつも「お兄さん」ぽいから加減が難しかったです。一応CPじゃなく、あくまでも「ジェードとユーク」なので。その辺の解釈は個人差があると思いますので、ある程度は想像にお任せします。

タイトルの「for better or for worse」は結婚式の誓いから取ってみました。「良い時も悪い時も」という感じ。「良い時も悪い時も、愛することを誓いますか?」ってやつです。教会の神父さんのセリフ、まんまですね。珍しく、しっくりくるタイトルに巡り合えたので自分では気に入っています。

もっと二人の話が読みたいなと思う日々。自分で書くなら好きな要素詰められるので、自給自足も悪くないのかもしれません。

(pixivにも掲載していますが、このあとがき的なものはありません)                   



Jewelry Box

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