世界を満たす色
フォスとルチルの話。フォスがまだ幼いとき、毎日のように割れては医務室に行ってルチルとお話してるだけ。過去捏造につき注意。
「ルチルー、腕、取れちゃった。治して」
「……またですか」
「治して」を挨拶代わりに使うフォスフォフィライトに、ルチルは大きなため息を吐いた。今日で五日連続、医務室通いの記録更新である。全然めでたくない。
「だってーモルガがさー」
「はいはい。ちゃんと聞いてあげますから。まずはそこに座ってください」
指さす先は半円アーチの窓の下。シンプルなベンチにはまろやかな陽の光が差し込んでいる。ルチルがよく仮眠をとる場所であり、簡単な修復はここで行うことが多かった。
頼りない足取りで日向へ歩いて行くフォスを確認して、ルチルは棚の傍に置かれた脚立に登る。
「それで、今日はどうしたんですか」
糊が入った器を抱えて視線を向けると、彼は取れた腕を膝に乗せてルチルを見返した。
なんとも言えない表情だ。怒っているのか、落ち込んでいるのか読み取ることができない。
「転びそうになった僕を助けようとして、モルガが腕を掴んだら、腕が取れた」
末っ子は一際むずかしい性質を持って生まれた。
こんなに不器用なこは初めて、と誰もが口をそろえる。
今だ仕事が決まらない彼は、毎日色々なことにチャレンジしているようだが、いまいち成果が出ていない。誰かの手伝いに行き、大体は「もう大丈夫」と体良く追い出されて、ふらふらしていることが多かった。
今日もそんな感じで過ごしていたところ、モルガナイトに会っていつものようにからかわれたに違いない。
彼なりに末っ子を気にしている、というより「一緒にいて楽しい」に近いのだろうとルチルは思っている。フォスもモルガのことを遊んでもらえる対象として見ているのだろう。モルガに暇さえあれば二人揃って先生に怒られている。
「モルガはどうしたんです」
「モルガは……一緒にルチルのところへ行くって言ったよ。だけどすごく嫌そうな顔してたし、ゴーシェも呼びにきて。だから僕、ひとりで行けるって言ったんだ。仕事のじゃましちゃだめだって、先生に言われたし」
「まあ、怒られると思ったんでしょうね。彼にも困ったものです」
糊と白粉を先に置き、腕がないフォスの左側にルチルは腰を下ろした。慣れた手つきで渡された腕の具合を見て、ヘラで糊を掬う。琥珀色の液体を丁寧に塗りつけていく。
断面から覗く彼本来の色に光が反射して、ちらちらと壁や天上を彩った。春先に陸を埋める若葉の色が、浅瀬の海を作り出しているかのようだった。
「ルチル、怒るとこわいもん。えーっと、なんとかが落ちるってやつ」
「雷、ですね。私は雷は落とせませんけども」
そう、かみなり!となぜが嬉しそうにフォスが笑う。はいはい、とあしらって再び糊で満たされた器にヘラを突っ込んだ。
フォスは随分話すのがうまくなった。たどたどしさもあるけれど、それは彼がまだ「幼い」ことを意味している。
そもそも「どうしてこうなったのかきちんと説明なさい」と言ったことがきっかけだった。それ以来、フォスは事細かに割れた状況を話すようになって、結果的に言語力が発達した。
最近は皆忙しく、末っ子のフォスを構う時間がないため、彼の話も自然と長くなっているのが悩みの種になりつつある。
「事情はわかりました。あなたもいい加減、身の振り方を覚えてください。誰よりも砕けやすいんですから」
「わかってるよおー」
「いいですか。医務室にくれば治ると思っているんでしょうけど、いつもそうだとは限りません。欠片が見つからない場合、完全には元に戻せないんですよ。そうなったら困るのはフォス、あなた自身です」
ルチルは医務室には誰も来ない方がいいと思っているが、現実はそう甘くはない。月人は諦めることなくやってきては、隙きを突いて仲間を連れ去っていく。
月に行ってしまうより、砕けた方がいいのかもしれない。例え粉々になってしまったとしても、ここにくればどうにかするし、どうにかしてきた。
それがルチルの仕事。
フォスの左腕を持ち直し、欠けた角度を確認して慎重に腕をくっつける。キン、と小さく音が鳴った。
腕から視線を外すと、フォスと目が合った。珍しく真面目そうな表情に、彼には難しかったかしら、なんて考えていたが、全く方向違いの答えが返ってきた。
「ルチルがやぶってこと?」
「その言葉、誰に教わったんです?」
モルガだよ、と当たり前のようにフォスは言った。口振りからして意味は理解していないとみえる。
「フォス。私がなぜ、このような服装をしているのわかりますか」
「わかんない」
「少しは考えなさい」
「レッドベリルの趣味」
「違います」
「隠した方がえろい」
「……モルガですね」
フォスは素直に頷いて肯定を示した。ここで彼にどうこう言っても仕方がない。困った知識を与えるモルガは見回りの最中で、暗くなるまで戻ってこない。半ば諦めて、ルチルは白粉を手に取った。
話を戻します、とフォスの注意をひいてから、腕に白粉をはたく。
「誰も傷つけないように、です。修復中に擦れてしまったり、万が一壊してしまったら本末転倒ですから。特にあなたにはとくべつ気を遣います。ちょっと力加減を間違えただけですぐひび割れてしまう。自覚はありますよね?」
「ありまくりでーす」
「そうでなくては困ります。いいですか。硬度と靭性によって、壊れやすさが違うと先生から教わりましたよね。だから手袋をすることで肌を隠す。ダイヤたちを見れば一番わかりやすいでしょう」
「うん。ダイヤは白で、ボルツは真っ黒。おにいさまはおにいさまの色!」
「生まれ持った性質は変えられません。私たちは互いの性質を理解しなければ、一緒にいることは難しい。あなたが無茶して壊れまくっていたら、皆がどう思うか考えてごらんなさい」
「えっと……ごめんなさい」
「わかればいいんです。あなたは大切にされていることを忘れないでください」
もういいですよ、と声音を変えて腕を解放する。役目を終えた道具をしまえば、ルチルの仕事は完了する。
いつもはすぐ飛び出していってしまうフォスは、座り込んだまま、すっかり綺麗に治った腕を擦っていた。
特に気にも留めずに立ち上がると、フォスは小さな声でルチルを呼び止めた。
「何もできなくても? 何もできなくても、いいの?」
「私たちには無限の時間があります。そう焦らなくても大丈夫ですよ。どんなに不器用でもひとつくらい、できることは見つかりますから」
「ねえルチルもなの?」
「はい?」
意図がわからない質問に、ルチルは片付けの手を止めて振り返る。
「ルチルも僕のことがたいせつ?」
「それは、まあ。……手のかかる者ほど可愛いといいますし」
「ほんと!? やったー! 僕かわいいー! ルチル、治してくれてありがと! 僕もルチルのことだいすきだよ!」
「あっ、ちょっとフォス!」
呼びかけて彼が立ち止まったことなど数えるほどしかない。
太陽の下に消えていく彼を見送って、今日はもう誰も壊れないようにと小さく願った。
だいすき、だなんて軽々しく言うものじゃないと今度教えなければ。
「ほんとうに手のかかるこですね」
ルチルは苦笑を浮かべながら、白粉を棚へしまった。
※ここから62話までのネタバレ含みます。
フォスは時々危ういけど話ができて、先生の授業も終わり、不器用発動してふらふらし始めた辺りという設定でした。具体的に何歳くらいかまでは考えるの難しいですね。70代ですでに見張り組になってる新しいモルガとゴーシェを基準にしてもいいのか…悩んでうやむやにしました。フォスの場合は頭が悪いと自分でも言ってたので、すごく覚えが悪そう。
きっとフォスは素直なこだったのでは、という妄想と、保護者っぽいルチルがたまらなく好きという私の趣味を詰めました。素直というより、騙されやすいに近い感覚です。なのでモルガに散々弄られてたら美味しいです。一話のフォスとモルガの絡みが好きなので。
ルチルはなんだかんだで面倒見良さそう。ていうか良いのか。適当にあしらってるように見えて、ちゃんと色々見てる彼。お兄ちゃんというよりお姉ちゃんて感じがするのはなぜでしょうね。不思議。
ルチルは彼なりにフォスのことをずっと気にかけてきたんだと思うんです。初めて見張りに行ったときも、回診にきてくれたり。その後も彼のことを見ててくれたり。アニメ見てて余計にそう思いました。
なのに、62話ですよ!!
ルチルのキレっぷりがやばかったです。そりゃ怒るよ…フォスの行動ってどこかずれてるんですよね。残念なことに。彼なりにルチル(とパパラチア)のことを思っての行動だったのかもしれませんが。
ということもあり、素直で少しアホっぽいフォスが恋しい今日この頃です。
タイトルの「色」はフォスの色で、いい意味でもよくない意味でも、彼は宝石たちの世界を変えていっている、ということをイメージしてみました。薄荷色、西の浅瀬色など彼を形容する色は多いですが、大雑把に生命の色かなと。ジェードのほうがピッタリ合うような気もしますが、それはそれで。
(pixivにも掲載していますが、このあとがき的なものはありません)
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